生存報告

まさか自分でこの種の報告することになるとは思いませんでした。
術後、新たに配属されたのは17階A病棟16号室です。2人部屋なのが微妙なところですが、現在、治療に向けた体力回復に邁進しております。


手術自体は簡素な物でした。後頭部のみを切り、小脳組織を得るものです。手術に先立って全身麻酔が実施されますが、もちろん初めての体験です。麻酔薬が点滴から静脈注射され、胸から下の感覚が物の数秒で飛んでいきます。
「おお、効果覿面ですね」と軽口を叩いたら意識を根こそぎ持っていかれました。
「はい起きてー」と即座に言われたのですが、ストレッチャーから盗み見た壁掛け時計によれば、7時間が既に経過しています。その間に装備も増えました。鼻、頭からドレナージを生やし、カテーテルも着けています。なによりも、まともに話せないのが衝撃的です。まるで酔っているかのようなのです。そのまま術後室へ連れていかれました。
発語能力が回復するのは思ったよりも早いのですが、身動きが全くできません。移動可能距離0mです。これは誇張でも何でもなく、身じろぎするたびに血膿と脳漿を吐いていました。身じろぎしないわけにはいかないので、つまり吐かざるを得ないことになります。やがて鼻のドレナージがとれ、頭のドレナージがとれ(傷を縫うのですが、これがまた痛みます)、安眠するまでに12時間ほど掛かったでしょうか。どれも着ける際には意識がないのですけどね。繰り返しになりますが、全く身動きが取れないので、観察する対象も限られます。自分の両手の血色の悪さと言ったら文字通り、大の大人をして顔色なさしめるものでした。正直に出るものです。肥えて帰ってやろうという気になります。


病理診断による病状の命名神経膠腫でした。検索すればわかることなので書いておきますが、5年後生存率は6%。ここからさらに悪性度によって細分化されますが、それは来週の治療計画の発表の際に明らかになるでしょう。
参考までに、国立がんセンター神経膠腫のページを掲載しておきます。個人的には何度も目を通しているのですけどね。


術野が小脳ということもあり、術後に動けなかったのが最大の難点です。現在ではカテーテルも取れましたが、排泄するためにトイレに立つのも、入口までは付添いの看護士さんに立ってもらわなければなりません(尾篭な話で申し訳ありませんが、事実です)。もちろん抜糸が済んでいないので洗髪しておりません。入浴や口腔ケアも怠りがちなので、正直言って不潔です。
歩行機を使って捕まり立ちし、歩くのは可能でした。脳が腫れるためか、起き上がってしばらく頭痛に見舞われますが、徐々に慣れてゆきます。頭痛に慣れれば、ベッドから起き上がって動くことはできます。
このように、運動能力は大きく落ちましたが、果してこれがどこまで回復するでしょうか。花粉症の始まる季節までには、他の階に行ってみたいものです。